1988-04-22 第112回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会外交・軍縮小委員会 第2号
ソ連は軍事ドクトリンを攻勢戦略から防勢戦略に変更したというふうにも伝えられておりますけれども、八九年度米国防報告が、ソ連の軍事生産は一九九〇年代を通じて大きく減少することはないと見通しておりますように、ソ連の軍事的圧力というのは増大こそすれ減少することはないと考えます。
ソ連は軍事ドクトリンを攻勢戦略から防勢戦略に変更したというふうにも伝えられておりますけれども、八九年度米国防報告が、ソ連の軍事生産は一九九〇年代を通じて大きく減少することはないと見通しておりますように、ソ連の軍事的圧力というのは増大こそすれ減少することはないと考えます。
しかし、そうやってソ連とだけ我々はにらみ合っている、そういう状況ではございませんけれども、アジア全体の安定感を醸成し、それを我が国の安全のために使うというならば、そういう状況をこれから事務次官会議があったり、あるいはソ連の外相が訪れたりするときには広く軍事的な面にも眼を向け、そしてソ連も大きく言えば軍事緊張攻勢戦略をどんどん広げていき得るところではないと僕は思うから、それを考慮に入れつつ対処を願いたい
○永末委員 このごろのソ連の対外的な姿勢を見て、ソ連は戦後極めて攻勢戦略をとってきておる、時にはその攻勢戦略を実現するために武力を使うことすらいとわなかった。しかし、先ほどから触れておりますINFの調印やアフガニスタンからの撤兵などを見て、ソ連の戦後終始一貫とられてきた攻勢戦略が防御戦略に変わったのではないか、これが新しい考え方と称せられるもののあらわれではないかと見る人があります。
ことしの一月のいわゆるネーバル・インスティテュート・プロシーディングズ——アメリカ海軍協会会報の一月号、特集号でレーマン海軍長官、ワトキンズ作戦部長それからケリー海兵隊司令官、こういうアメリカ軍の最高首脳の論文が明らかに極東・西北太平洋における攻勢戦略、これを打ち出しておりますし、それから六月のソロモン・アメリカ国務省政策企画局長・国務次官補の講演におきましても、ヨーロッパ有事、中東有事のときに連動